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変な家ネタバレ|家系図を見れば犯人がわかる!

 ”これは、片淵家の家系図です。あなたにはこの家系図の異常さがわかりますか?おそらく一見しただけでは、ごくありふれた家系図にみえるでしょう。しかし、注意深くすみずみまで見ると、奇妙な違和感が存在することに気づくはずです。その違和感が重なり、やがてひとつのおそろしく信じがたい事実に結びつくのです…。”

 こんにちは、ぷにぷにかぞくと申します。いきなり大ベストセラー作品のオマージュからスタートしましたが、お気付きになられましたか?(どの辺がオマージュなのか気になるあなたは、ぜひ本物のYouTube版「変な家」をご覧ください)。

 それはそうと、冒頭に書いた内容ですが、これは私が小説版「変な家」を実際に読み進めていきながら、あまりの登場人物の多さに「こういうのって家系図があると、謎解きに役に立ったりするのかもなぁ…」と思って、Excelで「家系図」を作っているうちに、気が付いたことなのです。

 このブログでは、私が気付いた‘’ある事実”についてご紹介し、それに対する考察を述べたいと思います。

 小説版「変な家」を未読のあなたには、少々ネタバレになるかもしれませんが、この「変な家」の物語は、私の考察程度で、面白さが減ってしまったり、謎が解明したりするような単純な物語ではありません。

 未読のあなたには「読んでみたい!」、既読のあなたには「あれ?!もう一回読み直してみようかな?」と思って頂けるような内容だと思っていますので、ぜひ、ご一読いただき、小説版「変な家」を深く深くお楽しみください!

なぜ「家系図」なのか?

 雨穴(うけつ)さんのベストセラー作品「変な家」には、「片淵家」という”家”が登場し、そこには”本家”や”分家”そしてその始祖から広がる子孫が登場するなど、非常に複雑な人間関係が書かれています。

 それら”家制度”や”因習”をテーマにした手法は、『獄門島』『八つ墓村』『犬神家の一族』で著名な横溝正史の作品世界を、強く思い出させます。

 それらの作品と同様「変な家」でも、祖父・父・子・孫と続く謎の”因習”と、それを盲目的に引き継がされていくなかで困惑する現世代の葛藤や、それを従わせようとする閉鎖的な”家制度”が描かれています。

 そして、いやだからこそ、この”家制度”にまつわる謎と、数多くの登場人物の関係性を解明するには、やはり”家系図”が不可欠だという思いに至ったのです。

 今の若い方は、”家系図”そのものを身近に感じることはないかもしれません。日本史の教科書で「藤原氏」や「足利氏」や「徳川家」の家系図なら見たことがあるでしょうけど、ましてや自分の家の”家系図”を見たり、作ったりすることは皆無でしょう。

 しかし、「変な家」のような地方の旧家と言われるような”家”では、今でも同じ苗字でありながら”本家”や”分家”と区別したりするような慣習が残っている所もあり、そのような”家”では本家と分家の関係性を示すためには”家系図”なしでは把握が難しいのです。

 もはや、この時点で、「変な家」には素質充分のミステリー感がありますが、それでは実際に「変な家」の舞台となる片淵家の家系図を見て行きましょう…。

片淵家|本家の家系図

 はじめに片淵家”本家”の家系図を見てみましょう。

あらすじと登場人物

ぷにぷにかぞく作成

かつて片淵家は、 ○○県を拠点とした、複数の事業で莫大な財産を築いた。その成功に最も貢献したのは、明治三二年から大正四年かけて当主を務めた、片淵嘉永(かえい)という人物だった。嘉永は、豪胆な性格と高い経営能力によって、事業規 を大幅に拡大した。しかし、五〇歳を迎えた頃、持病が悪化したのをきっかけに一線から退き、その地位を子供に譲ることになった。嘉永には、宗一郎(そういちろう)・千鶴(ちづる)・清吉(せいきち)という三人の子供がいた。

長男の宗一郎は、父に似ず内向的な性格だった。妹の千鶴と仲が良く、大きくなってからも一緒にままごと遊びをするなど、一風変わった青年だったという。

それとは対照的に、末っ子の清吉は、活発で文武両道な好青年だった。子供の頃から肝が据わっていて、人をまとめる力もあり、誰が見ても清吉が片淵家の後継者にふさわしいことは明らかだった。

ところが、嘉永が跡取りに選んだのは、長男の宗一郎だった。その理由は、清吉の出生にある。

実は、清吉だけは正妻の子供ではなく、片淵家に雇われていた女中との間に生まれた子供、いわゆる「妾の子」だったのだ。嘉永は世間体を考え、妾の子に家を継がせることをためらったという。ただし嘉永自身、宗一郎が経営に向いていないことは百も承知だった。あくまで実権は清吉に握らせ、宗一郎はお飾りの当主にすればいい、という魂胆があったらしい。しかし、ことは嘉永の思うようには進まなかった。

引用元 変な家/雨穴/飛鳥新社

 実は「変な家」は、間取り図からはじまる、伝統的な家族とその相続問題を巧みに描いた作品なのです。特に財産を誰が引き継ぐかが大きな問題となっています。

 宗一郎は嘉永(かえい)と違って、とても内向的で、妹の千鶴と仲がいい。一方で、清吉は文武両道でリーダーシップも持ち合わせている人物。だけど、清吉は家のお手伝いさんとの間に生まれた子ども。だから、嘉永は家の財産を正式な奥さんの子どもである宗一郎に渡すことにしたけど、本当は清吉に経営を任せたかった。

 嘉永の計画は思うように進まず、物語はそこでいろいろな問題が起こり始める。そして、家系図で一番注目して欲しいのは、「麻太」「桃太」「重治」が誰と誰の子どもか?ということです…。

 

片淵家|分家の家系図

 次に片淵家”分家”の家系図を見てみましょう。

あらすじと登場人物

ぷにぷにかぞく作成

清吉は宗一郎の後ろ盾になることを拒否し家を捨て独立する。清吉の気持ちは理解できなくもない。実の父親から「お前は妾の子だから後は継がせられない」と断言されたようなものだ。よほど悔しかったのだろう。

清吉は片淵家を出ると、一人で事業を起こした。 第一次世界大戦による好況のあおりを受けて急成長する。

上り調子の真っただ中、清吉は二二歳の若さで結婚。 すぐに子供をもうける。こうして、清吉を主とする「片淵分家」が誕生した。

引用元 変な家/雨穴/飛鳥新社

 清吉は、自分が家を継げないと嘉永に言われたとき、とても傷ついて悔しかったと思います。清吉は自分が「妾(めかけ)の子」だという理由だけで大事な役割から外されたわけですから。

 清吉が片淵家を出た後に成功を収める過程も、清吉の持ち前の能力と外部の状況(第一次世界大戦による好況)がうまく組み合わさっている点が興味深いです。自分の力で事業を立ち上げ、急速に成長させる清吉の姿からは、逆境を乗り越える強さと魅力が感じられます。

 そんな清吉には5人の奥さんがいます。5人の奥さんがいるということは、家庭内での権力争いや複雑な人間関係が生まれる可能性が高いですよね?家系図をじっくり見てみてください。誰の子が跡を継いでいますか?何か不可解なことはありませんか?

ネタバレ!?「変な家」の家系図から分かる事実とは!

 では、ここからが、私が気付いた、おそらく物語の鍵となるであろう秘密です。

 今まで見てきた”本家”と”分家”、それぞれの家系図を横に並べて合体させてみましょう。

 お気付きですか?あれだけいがみ合い、争い合った片淵一族の”本家”と”分家”を、事もあろうに繋ぐ人物が存在することが見えてきます!

 

 ちなみに私は、小説版「変な家」の記述から、この家系図を起こしていますが、映画版では、明治〜大正期の片淵家の複雑なお家騒動がほとんどカットされ「左手供養」に片淵家が囚われるまでの過程がよりシンプルなものに変更されていますので、このような詳細な”家系図”の作成は不可能だと思います。

 実を言うと、この”本家”と”分家”をつなぐ(統一した?!)人物が、この物語の謎解きのキーパーソンになることは間違いないと思っていますが、今のところ、ここまでしか私にはわかっていないのです。

 なぜ、そのキーパーソンは、本家で生き残っている桃弥を孫と言い大事にするのか?ぜひ、この”家系図”を端緒として、あなたの推理を深めていただけたら嬉しいです。

 私も引き続き、謎解きを進めていき、この「変な家」という作品を、深く楽しみたいと思っています。

 もし、まだ未読な方は、ぜひ文庫版「変な家」を読むことをオススメします。この文庫本には、単行本にはなかった(もちろん映画版にもない)、原作者の雨穴(うけつ)さんの謎解きのパートナーである栗原さん執筆(?!)の「あとがき」が掲載されています。

 この栗原さんの「あとがき」には、この「変な家」の謎解きのための大きなヒントがあるように、私は感じています。ぜひ、文庫版「変な家」をご一読ください。

 最後に、ここまでこのブログを読んでいただいたあなたは、そろそろ気付いていただいているのではないかと思います。この雨穴(うけつ)さんの作品「変な家」。一枚の”変な間取り図”から物語が始まります。

 でも、私は「変な家」の”家”には、”間取り図が変”なだけではなく、”その家の家系と因習(すなわち片淵家とその家が守り続けている因習)が変”という二重の意味が籠められている掛詞(かけことば)になっていると感じています。いかがでしょうか?

 このように、「変な家」は読めば読むほど深みを感じることができる、ミステリー好き、文芸作品好きにとって非常に楽しめる作品です。良質の小説をぜひ、楽しんでみてください。

 

 

 

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